オンラインの売上総額が5億を超えた頃に気がついた大切なこと
目次
<今日のサマリ>
【今週のトピック】オンラインの売上総額が5億を超えた頃
【雑談】会うという重要性
【編集後記】ディズニーランドが劣化した?
【今週のトピック】オンラインの売上総額が5億を超えた頃
こんにちは。河野です。
今日も開封していただきありがとうございます。
今日の僕のメールを
「久しぶりに開いた」
そういう方いるのではないでしょうか?
なぜかは、きっとタイトルの”5億円”が気になったから?
すみません、実は今日のテーマは
オンラインの売上げが5億円を超えて気がついたこと
ではないんです。
あ。ちなみに、僕らのクラインとさんの年商を合計すると
5億円程度ははるか昔に超えていて、
その頃に気がついたことがあることも
本当です。(今は桁が違いますが(笑))
でも今日のテーマは、
このタイトルに反応したことについて関連しています。
それは「数字」や「分量」が
ビジネスに占める重要性のことなんです。
■権威は数字で示される。
まずは簡単なことから。
たいていの人は、
誰かによい評価を下す場合、
おもいっきりバイアスがかかります。
つまり、
曇った目で評価するんです。
会社を上場させました。
5つの会社を経営しています。
年収1億余裕で超えてます。
ドバイで50階の部屋に住んでます。
こういうことを言った人の話を
ありがたく聞くわけですね(笑)
話を聞く立場なら、
ありがたがっているだけで、
変な投資話とかに傾倒しなければ損はないので別にいいのですが、
話をする立場だとこのへんを結構意識しておく必要があります。
なぜなら僕らは相手にありがたいと思ってもらわないまでも
「いい事を言っているはずだ」
くらいは思ってもらわなければならない瞬間が
たくさんあるからなんですよね。
単純なところで自己紹介。
セミナーや、商談なんて、この自己紹介で
「いい事を言っているはずだ」
と思ってもらわなければ相当損をします。
つまり権威のバイアスを
少なからず感じてもらっている必要があるんですよね。
取り繕ってもしょうがないとか、
詐欺をするわけじゃないのだからとか、
実力は後でついてくるとか、
かっこいいことはいくらでも言えるのですが、
それって何か目指すものへ対する責任というか
応援する人へ答える覚悟がないだけな気もします。
「ありのままで勝負したから無理だった。」
「成功する方法は知っているし、
上手にやれるけど、あえてやってません」
みたいな言い訳に使えるのかなとも
思うんです。
そんなときに、
便利なのが「数字」「分量」です。
僕がスーパーコンサルタントと呼ばれてます。
って説明しても「へ?」って感じだと思うんですが、
初年度から売上が5億超えましたとか言うと
「お?なんだ?」と思いますよね。たいていは(笑)
年収2千万というより年商2億。
年商1千万というより販売個数1万個。
チャンネル登録1000名というより再生回数1000万回。
世界中の人が登録しているサイトといより、
世界120け国の人が利用しているサイト。
有料会員が200社といよりも、
会員総数4000社。
このように
数字と分量を使うことで
弱者の僕らにでも話を聞いてもらえる瞬間は訪れます。
もちろん、
必要以上そんなことしなくてもいいのですよ。
それはそれで、
実態と人の評価にあわない自分に苦しむことになりますから。
■品質を上げるのは”こだわり”と”情熱”なのか?
カスタマーサポートとして雇った外注さんが
いまいち品質が悪い。
配送スタッフの人の仕事ぶりに
もうちょっとこだわりがほしい。
僕らスモールビジネスで品質を上げる。
という議論をすると製品そのものではなく
カスタマーサポートや
お客さんに提供しているサービスそのもののことを
あらわしていると思います。
そういうときのトレーニングというか
品質向上の努力って、
”思い”とか”情熱”とか、
”考え方”なんてことにフォーカスしがちですよね。
たとえば・・・
「私のサービスではこういうお客様とこういうスタッフで
ともに幸せになることを理想としてビジネスをします。
ですからこういう思いでお客様へ接しましょう。」
こういうことを繰り返し
伝えることで品質を向上しようとするんですよね。
もしくはそれができる人に当たるまで
採用を繰り返すとかです。
でも彼や彼女、ご主人や奥様に、
「こういう関係をきづきたいのだから、
もっとやさしくしてよ!気を使ってよ!」
と説明しても
たいていは10年以上なんにも変わらない(?)
のと同じでほぼ品質は変化しなかったりもします。
ここで重要になるのが
またまた数字や分量なんですよね。
お客様からのメールには2時間以内に返信すること。
このサービスで提出する資料は10ページ8000文字以上のものにすること。
このサービスでは最低3回1回あたり50分以上のミーティングを行うこと。
簡単に言えば、こういうことなんです。
品質を上げるということがゴールだとしたら、
そのために必要な項目のことをKPIといいますが、
KPIは絶対に数字にしほうがいいですね。
僕の経験上も
熱く話しているのは社長だけど
びっくりするくらい伝わってません(笑)
でも
○時間、○回、と指示を分量と数字であらわすことで、
熱く伝えているけど1ミリも変わらない品質よりは
間違いなく向上すると思います。
■”がんばる”という本当の意味
「今年は新規のお客さんを10社獲得します。」
コーチやら、コンサルやらをしている人が
こう宣言したとします。
自己啓発的に言っても、
期限も量も明確ですから目標設定としては
正しいと思うんですね。
しかも、がんばるぞ!と自分にコミットもしていると思います。
でも、これだとがんばりようがありません。
今年新規のお客さんを10社獲得する方法を
検索しまくる毎日を送ることになる人も多いよねって話なんです。
やはり、
ここでも「数字」と「分量」がものを言います。
僕は何度か話をしてますが、
起業当初、思惑がはずれて食うに困っていました。
どんどん金が減る。
子供の幼稚園で履く靴も買ってあげられない。
ささやかなファミリーレストランでも躊躇する。
そこまで切羽つまっていても、
何をどうがんばっていいか混乱してもいたんですね。
気がつくと、
一発逆転ホームランの方法を
ググったり、本屋で捜し求めてました。
そんなのあるはずないのに。
で、決めたことがやはり
限界までがんばることと、
限界までがんばることの数値化でした。
朝7時に家を出て、23時までは帰宅しない。
昼1時間の休憩以外はパソコンにかじりつく。
ブログは毎日書く。
ポッドキャストは毎週20分以上の内容で配信する。
問合せがあったらその人が最後のチャンスだと思って
恋人のように接する。(文字数や回答の分量も決めてました)
決めたのはこの5つだけ。
ランチェスターの戦略でも
弱者が勝つ簡単な方法に営業時間の長さというのが出てきます。
「人が8時間働いているのを自分が14時間働けば3倍の差がつく」
といった話です。
これを信じてやってみたんですね。
そうすると
当たり前ですが、物理的にやることが増えるので
行動量×反応率の理屈で結果がではじめたんですね。
なので、
努力する形容詞にも、
ということを量を定義する必要があると思うんです。
■形容詞を数値化せよ。
引き寄せの法則では
望むものをイメージせよと言われます。
これをやることはほぼ100%なんですが、
プロセスを数値化することはとたんにしなくなります。
それはたいていは形容詞だから。
がんばる。
良くする。
早くする。
深みを出す。
好きになってもらう。
こういうことって数値化しにくいですよね。
でもビジネスの指標にする人は多いし
実際収益に関連したりします。
なので形容詞を数字化。つまり分量で表すことが
ビジネスをより具体的なものにするよねというのが
今日のお話でした。
あなたの朝礼。
お客様満足度をあげる。信頼される。
とかの抽象的な目標になってませんか?
【雑談】
全体で集まっての会議なんて不要。
オンラインで十分。
会議なんて時間の無駄。
なんてことはネットのコミュニケーションツールが進化して
意見の主流になりつつありますね。
もちろんこのアンチとして、
会うからこそ発想が豊かになる。
会うからこそ生まれる提携もある。
なんて意見も根強いです。
僕の意見は、
「面倒くさい議論だなー」と(笑)
暇な人が暇つぶしでゲームをしているくらいなら
たぶん全部直接会って話しているほうが
有用だろうし、
仕事に忙しい人同士なら
オンラインでやらないと物理的に
機会損失になるってだけじゃないかと思うんです。
つまり時と場合によるのでは?という
普通の結論です。
コミュニケーションの深さが
深まるのは会うことだというのは間違いないと思うし、
オンラインのコミュニケーションが時間という資源を
最大化することも間違いありません。
それ以上でも以下でもないんですよね。
だからきっと
会う必要がないと極論を言う人も
会わないとだめだという人も、
おそらくポジショントークじゃないかと思うんです。
つまり、
会わなくても仕事ができるとう主張をすることで
食えている人はそういうしかないし、
会わないとだめだと主張する人は
会わなければならない何かで食っているのかなと。
これも今日の話にちょっと出てきた
バイアスがかかってます。
両方の効果を計測せずに
オンラインだ!とか
オフラインだ!とかって
なんかノンキな議論なんだと思うんですよねー。
【■編集後記】
娘の誕生日プレゼントとして
家族でディズニーランドに行ってきました。
僕は場所取りくらいしか活躍できないのですが
毎回行っておもったのは
やはりなんというか夢の国であることへのコミットの低下?
如実だったのは
あたらしいアトラクションの工事現場なんですが、
めちゃめちゃ裸でみえちゃってるんですよね。
昔って
現実的なものって 全部目隠しして
見えなかったと記憶しています。
足場も職人さんのお兄さんたちも、
重機も見えてました(笑)
あれっていいのですかね?
設備コストというより
ディズニーは「体験」のコストだと思うんで
あそこだけは気にしてもいい気もしたんですよね。
もっともあのチケットの価格では
コスト的にもう限界なのかなーとも思いつつ、
今度行くころにまた、明確にわかるのかもしれません。
と、まー、また夢の国で
めんどくさいこと行っているおじさんなわけですが、
娘も楽しんでくれたみたいだし、
変わらずお世話になってます。
あ。ふと思ったのは
あと何回くらい親(特に父)とディズニーなんて
行ってくれるんだろうか?と思うと
すこし涙した帰りの車中でした。(^_^.)
音声で聞くと裏話も入って2倍面白いかも?