AIが加速してもIT音痴が勝てる意外な戦略【第736回】
目次
AIの進化とビジネスへの浸透の速度がやばいです。
たとえば生成AIのchatGPTでもたいがいすごいですが、
ここのところ注目されている「claude.ai」のほうが
もっとすごいとびっくりしています。
claude.aiはあまりこだわったプロンプトを必要とせず
相当な成果を返している感じになってると思います。
他にもいっぱいありますよね。
広告やコンテンツで使える動画生成ツール。
自然な音声ナレーションツール。
また、ITツールの使い方って難しいじゃないですか?
自動化ツール、メルマガシステム、広告、Wixとかね。
こういうツールを「ブラウザで勝手に操作してくれる」AIもありますよね。
ということで、
ビジネスの企画、コピーの生成、
広告やWebクリエイティブの作成
コンテンツ先生、カスタマーサポートまでを
すべて自動化していくことは物理的には可能になってきています。
まだひと手間もふた手間も必要だけど
すでに「やれる」ことになってます。
そうなると当然、
「僕らはどうすればよいか?」
という話になってきます。
一般的には、
生成AIができるような下流レイヤーの仕事から
上流にシフトするべきなどと言われます。
つまりデザイナーならディレクターとか
経営層へシフトするとかですね。
あとはAIツールを横断的に理解し、
AIを使いこなせるようになっておくべきといった意見です。
でも、こんなこと言われたら、
IT音痴でAIの前にテクノロジーに苦手意識がある人は
絶望的な気分になりますよね。
また、「こんなコロコロ変わる世界についていけるか!」
ってところです。
ただ、ですね僕だけではなく、
このAIの進化においても、
逆にIT音痴の人が最強になるって噂(予測)もあったりするんですよね。
ということで今日は
すこし違う角度でAI時代に稼げる人の素養について話しますね。
動画で見る|AIが加速してもIT音痴が勝てる意外な戦略
文章バージョン続き|AIが加速してもIT音痴が勝てる意外な戦略
くどいようですが、
近いうちにAIでほとんどのことが
今より高度に、簡単にできるようになると思います。
たとえばですよ?
オンラインスクールを販売したいとします。
AIが簡単になったときに、スクールのパッケージは
変わってると思いますが、今のまま動画などで提供するとした場合。
タスクはこんな感じになります。
1 テーマを決める。
2 サマリーで良いからカリキュラムを作成する
3 セールスコピーを書く
4 ランディングページを作成する
5 広告クリエイティブを作る(画像や動画)
6 広告を出稿する。テストして改善する。
7 コンテンツを作成する、動画編集する。
現時点でも、このそれぞれのタスクは、
使い方がわかっていて、有料サービスを使えば
ほぼAIで完了できます。
今後はこれらの操作方法がものすごく簡単になったり、
AIツール1つ使えば作業が一括で完了したり、
費用すらかからないかもしれません。
だから、AIの時代で儲けようと思うと、
AIを使いこなす人、そもそもAIで何をやらせるかを判断できる人ってことになると
言われていたりします。
そう考えれば、IT音痴はさらに致命的ってことになってしまうんですが、
そんな中でも今オンラインマーケティングやオンラインビジネスの中で
1つの潮流があります。
それは「人間同士のリアルタイムな接触」の重要度が高まっているということです。
たとえば、
これまで完全オートメーションで
リードを獲得して、
自動ツールで顧客をセグメント分けして、
セールスオファーやタイミングを使い分けていたような会社が、
リード時点で、人の手でアウトバウンドコールをして、
個別商談や、個別相談のアポ取りをして、
実際個別相談では顔をつき合わせてクロージングをしていたりします。
要するに人間対人間のコミュニケーションをとる方が
成約率が高く、顧客獲得コストが安い場合が多くなってるってことなんです。
もちろん、現時点ではAIのせいではありません。
単に、マーケティングが洗練されればされるほど、
広告のクリエイティブから、
ターゲッティング、
リード獲得後の教育プロセス、
セールスの手法まで自動化と効率化が究極に進むと、
かえって「みんな同じに見える。」状態になります。
だからこそ最後は人の接触で相手が感じたことで
差別化を図ろうとして、実際選択する決め手になってるからです。
でも違う見方をすれば、
少なくてもしばらくの間、AIには人間の感情の揺れや
共感みたいなことは理解できないし、作り出せないことを表しています。
これは生成AIが登場してからずっと言われてることですが、
正しそうです。
行間を読む。
感情の揺れを察知する。
本音と建前を想像する。
信頼を獲得する。
こういうことって、
やはり人間にしかできなさそうなんです。
すくなくても数年から10年くらいは。
そして、この機能って実はすべての人間に備わってなかったりします。
人間の中にも、
行間が読めない人。
感情の揺れを察知できない人。
信頼を獲得しにくい人。
こういう人は結構いますよね。
つまり、
AIを深く理解し使いこなせないビジネスオーナーでも、
コミュニケーションスキルが高い人には有利な世界になってくると思うんですよね。
コミュニケーションスキルといっても、
単にゴリ押しセールスがうまいとか、
プレゼンがうまいってことじゃありません。
それはおそらくAIの方が上手です。
そうじゃなくて、もっと深い1対1の双方向のコミュニケーションの話。
相手が今何を感じているのか?
言ってるとはこうだけど、本当はどう思ってるのか?
相手の葛藤はどこにあるのか?
ドロドロした汚い部分はどこか?
こんなことを図れて、
相手から信頼を得られるコミュニケーションが取れる人は
めちゃくちゃ価値があると思うんですよね。
これができない人は、そういうスタッフも採用できなかったりします。
そういう能力を見抜けないから。
ということで、
AIツールって使える方がビジネスが加速することは間違いないですが、
使えないからといって悲観的になることもないと思うんですよね。
なぜなら浸透しきってしまえば、
最後のクロージングを行う人間の差になってくると思うからなんです。
またはAIに接触されることにみなが辟易としている頃に、
人間固有のコミュニケーションができる人は
ものすごく重宝されると思うんですよね。
今日は概念的な話でしたが、
まんざら外れないのじゃないかなとも思うんです。
もし、
ITには弱い。
SNSとかで大多数に人気があるわけじゃない。
でも、普段から近い顧客や、友人、
知人、家族から信頼されている人とかには、
逆に日の目を見る時代になっていくんじゃないかとも思うよって話でした。
では。
【雑談】上には上がいて嫌になったあの日
上には上がいる。
とはよく言ったもので。
僕もささやかですが、そういう経験を小学生の頃にしました。
小学3、4年生くらいまで僕は学校の成績が異常に良かったです。
記憶が大袈裟になってるかもですが
勉強しなくても授業聞いてるだけで全部100点みたいな感じです。
先生にも「河野くんは頭がいい!」とかおだてられてたと思います。
今思えばレベルの低い学校だったのだろうけど、
自分でも「あ。俺頭がいいんだ。」と自覚するようになりました。
で、何を思ったのか、大阪府でもトップクラスの進学塾に行きたいと
親にお願いしました。
近所の塾じゃなくて電車で通うような有名塾です。
もちろんレベルの高い塾ですから、入学試験があるんですが、それも合格しました。
僕は自分が頭がいいと思い込んでましたので、
合格は当然だし、「やっと自分のレベルに合う授業が受けられるだろう。」
くらいに思って初日を迎えました。
そしたらですね。
授業が全然わからないんです。
たぶん算数だったと思いますが、
全然わからないんです。
授業がわからないなんて人生初。
さらに言うと宿題の量が異常でした。
2日後の授業までの宿題がプリントを重ねて広辞苑くらいあるんです。
もちろん必死に家に帰ってやりましたが、
全然終わりません。
全然終わらないんです。
でもそのうち慣れるだろうと、
宿題は毎回できないまま、
授業もよくわからないまましばらく通いました。
そしてもしかしたら、
最初から「できない量の宿題」
「理解できないレベルの授業」をこなさせることで、
高いレベルに到達させる方法なのかなとも思うようになっていました。
で、そうこうしていると
一緒に帰る友達ができたりします。
そこで僕は衝撃を受けることになります。
みんなテレビはしっかり見てました。
ゲームとかもしっかりやってました。
ジャンプやコロコロコミックも読んでました。
しかも宿題は完全に終わらせてるんです。
しかも余裕で。
僕は宿題をする必要があるので、その時間なんてありませんでした。
しかも宿題は終わっていません。
この時、僕の糸はあっさり切れました。
もともと毎日勉強していたわけでもなく、
単に簡単な授業を聞いて、
簡単なテストで100点が取れてたことで、
自分の能力を過信してただけですから。
弱いものです。
やる気がゼロになったんです。
「あ。俺とは別の世界だ。
モンスターが住む世界ってあるんだな。」
と初めて思ったんですよね。
塾はすぐにやめてしまいました。
(親は呆れてましたがw)
そして勉強はもともとしてなっかったですが
さらにしなくなりました(笑)
僕の場合は、別に日頃努力してたわけじゃないから
どうでもいい話ですが、
スポーツやエンタメの世界でも結構あるみたいですよね。
たとえば地元では絶世の美女と言われていた女性が、
上京して芸能事務所に入ったものの、
周りは容姿、骨格、歌、演技、踊りの才能が
自分より3つも4つも飛び抜けていて絶望した話とか。
地元で神童と言われたサッカーが、
全国区の学校へ入学したら、周りが化け物ばかりで
まったく試合に出れないとか。
「あ。俺普通だったんだ・・・」
みたいな絶望に似た感覚
もちろん、
それでも諦めず努力した人は何者かになるわけで、
そういうのが一番重要だと思うんです。
僕だってあの時、それを理解した上で
コツコツ勉強を始めれば違った感じになったかもしれません。
だから、
そこからが勝負!というメッセージが一番いいのだろうと思います。
でも、多くの人は、
自分の才能はないかもしれないけど努力を続ける意志力が
なかったりするから、
「挫折」という苦い思い出になることもあると思うんですよね。
実際は挫折でもなんでもなくて、
ただ自分に合ってなかっただけなのかもしれないけど
本人にとっては逃げたって感じを持つことも多いのかなと。
とはいえ、
人生に深みが出るというか、
人のことが理解できる人でいられるかというと、
自分が平凡であるのにモンスターの中で戦った人ももちろんだけど
挫折した人も同じくらいそれを持つことができるのかなとも思うんですよね。
つまり、
自分が特別だと調子に乗ったけど、
全然普通だと思い知らされることにも意味があるのかなと。
・・・なんてことを、
『アオアシ』っていうプロサッカー選手を目指す
U18の若者を描いた漫画をみてて思ったりしてました。