商品の価値を自分の物差しで決めてはいけない理由【第705回】
目次
「お前の物差しで人を測るんじゃねーよ。」
あらゆる人気漫画によく出てくる一節。
現実世界でもよくありますよね。
あるアイドルの「推し活」に年間何百万も使ってる人を見た時に
「もっと人生には楽しいことがあるのに。」と悪く言うのもその一つ。
たいして広い見識も思考の深みも持たない人がこんなこと言ってるケースって多いです。
つまり、誰かの行動を見た時、それが自分の固定的な価値観に当てはめた時に価値を感じないものだった時に、
否定的に捉えたり口に出したりすることですね。
親が子供に言うこともあるし、
知人が余計なお世話でいうこともありますね。
ま、こういうのは自分の世間の狭さを露呈するみたいで本当にダサいのでやめたほうがいいです。
ただ、ビジネスでも同じようなことが結構起こりがちです。
自分の価値観でいろんなことを測ってしまうことで、ビジネスチャンスや売上アップなんかを逃すことがあるんです。
今日はそのお話をしますね。
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文章バージョン続き|商品の価値を自分の物差しで決めてはいけない理由
よくあるのが、商品の価値を自分の物差しで決めてしまうケース。
商品の価値を顧客が感じる価値と言い換えてみると、
それは自分の扱う商品やサービスを購入した時に顧客が得られるものや、メリットということになります。
一般的なビジネスオーナーは真面目にこれを考えています。
だからこそ「顧客にこんな価値を感じてほしい。」「こんなメリットを得てもらえるはずだ。」と確信を持って商品やサービスを提供したいと思っています。
でもそのせいで、こんなことが起こってしまうんですよね。
例えば「コーチ養成講座」を提供しようとしたり、提供しようとしているとします。
こんな時マーケティグや集客の重要性を感じているオーナーの場合こう考えます。
「コーチ養成講座はコーチになりたい人が来る。でも実際コーチとして活躍するためにはマーケテイングや集客が重要。
講座を受けただけではコーチとして食うのは大変。だから集客についても完璧にマスターできるような講座にしなければならない。」
このように「食えるようになれなければ価値がない。」と考えます。
結果、まるでマーケティングコースのような壮大な講座になり、期間も長くコストも高いものになるか、
自分には価値が提供できないと思って、リリースするのを中止したりします。
一方で、コーチングの実践スキルが重要だと考えているオーナーの場合こう考えます。
「コーチとしてのスキル習得はそんなに甘いものじゃない。
実際のコーチングセッションを何度も何度もやり、レビューを受けない限り、卒業させられない。」
このように「高度なスキルを習得したと”わたしが認めなければ”価値がない。」と考えます。
結果、時間が十分に確保できる人を少人数しか相手にできないようなビジネスになるか、
自分には価値が提供できないと思って、リリースするのを中止したりします。
この2つは別に間違っていませんよね?
きっと正しいのです。
ただそれは、あなたにとってってだけの話。
相手もそう思っているはずだという決めつけがありますよね。
「コーチになりたい人は、みんな生活できるくらいの収益をなんとして得たいと思ってるはずだし、
そうなれないなら無意味だと思ってるはずだ。」
「コーチングを受ける顧客は、みんな何十時間も訓練を積んだ”コーチング技術”のプロに話を聞いてほしいはずだし、
そうでなければコーチの顧客にとっては無価値だし、コーチも私の考える”コーチング技術”を得られないくらいならコーチを名乗ってはいけない。」
こういう決めつけです。
これって価値観を勝手に決めてるだけで「コーチ養成講座」を受講したい人の価値観はその人数分存在します。
・単に学ぶのがとにかく好きな人。
・コーチと名乗るためのなんでもいいから自信がほしい人。
・集客を本気でする気はもともとない人。
・「いずれは自立できれば最高」だけどまずは何か行動するきっかけがほしい人。
・感覚的に「やりたい!」と思ってる人。
とにかくいろいろです。
合理主義者で目標に対して集中できて行動力のある人には特にこのへんの価値が理解されにくいので注意が必要です。
僕も結構そのタイプです。
「そんなの意味あるの?」と言っちゃいそうになるタイプですから、ものすごく気をつけています。
別に、集客できないライトな講座なのに集客できると嘘をつけとか、
そこまで実践時間がないのだけど世界最高のコーチングスキルが魔法のように手に入ると嘘をつけってことじゃないんです。
顧客の感じる価値が最大化する商品やサービスを作るのは当たり前なんですよ?
ただ、その時に自分の価値観で製品の価値観を決めつけると、提供する商品に多くの顧客が感じる価値と、
その対価(価格)が最適化された商品やサービスを生み出せないってことを言いたいんですよね。
サービスのセールスをする時にも、その価値観を押し付けるものになってしまいます。
結果、集客にも苦労します。
例えば、英会話のサブスク教材やサブスクサービスっていうのは、ちゃんと繰り返し学ぶ人なんてほとんどいません。
でも価値がないと顧客は思ってなかったりします。
その人にとってその教材は「勉強しなければならないという気持ちを維持する効果もある。」のかもしれないからです。
そんな価値もある教材なのに、たとえばその月の宿題をコンプリートしなければ次の月へ進めないようなハードコアな教材にしちゃうと、
本来維持できるはずの継続率が維持できません。
例えばいっせいを風靡した「ダイエットの結果にコミットする」ライザップのプログラム。
これもあんなに過激にダイエットすれば、その維持は困難なことは誰でもわかります。
結果としてリバウンドする人もたくさんいるとは思うんですね。
でも、その人にとって価値がなかったのかというとそんなわけなんです。
一時期でも理想の体になれたことは最高の体験だし、自信に繋がります。
また未来に今度は自らのライフスタイルの改善につながるかもしれないし、
審美としての体型の維持には価値を感じなくなるかもしれません。
とにかくあのように短期間で痩せようとすることには百通り以上のメリットが存在するわけです。
ライザップはリバウンド前提にしてるわけありません。その後のケアについても十分指導しているはずです。
でも角度によっては、そんなことに何十万も使うなんて馬鹿だ。という見方をする人もいますよね?って意味です。
それを気にしていたらダイエット関連のサービスなんて何も生み出せないし、すべてのダイエットサービスを使う人は、
ものの価値もわからない無知で馬鹿な人ってことになってしまいます。
そんなことないですよね?第一余計なお世話。
もし、あなたは世の中の商品やサービスについて「あんなクソみたいな商品何がいいんだ?」とか、
エンタメについて「何が面白いんだ?」とか、言ってるとしたら価値観が固定化しているかもしれません。
そのせいで商品やサービスにも偏った価値観を押し付けないようにしたいですねって話をしてます。
念のために補足すると、本当にクソみたいな、なんの価値もないクズ商品も存在しますよ?
たとえば「億万長者講座(仮)」「成功クラブ(仮)」みたいな謎の情報商材やコミュニティみたいなのとかは、
どういう角度で見てもクソです(笑)
そこは譲れないけど、これすら購入者が幸せならいいじゃんって話もあります。
だから、クソみたいな商品でもいいから売れってことじゃないんです。
顧客の価値の多様な点を考慮してねって話でした。
(もし実際の価値を最適化する商品化を知りたい場合は、コンサルやスクールで具体的なプロセスを示していますので確認してみてください。)
【雑談】何冊も同じ本を買う。
やっちゃいました。
僕は本が好きなので、結構たくさん買います。
でも「真面目に読む」ってことはしません。
アンダーラインなんて引かないし、メモもほとんどとりません。
読み始めて面白くない本とかは途中で読まなくなったりします。
読んだとしても記憶にあまり残ってない本もあります。
まれに衝撃を受けたときはメモしますが、それは新しい分野の本を読んだ時くらいで、
自分の専門分野とかだと「知ってること」も多いのでそうなりがちです。
で、そんな時にたまにやるミスがあります。
「同じ本をまた買う。」
ってやつ。
新刊ならないんですが、たまたま見つけて「読みたい」と思ってポチって
届いた本を見たら「あ。これ前読んだやつだ。」って気がつきます。
まー、それだけに今一度読むきものだと自分が思ったんだと思うようにしてますし、
あれだけビジネス書ばかり無作為に買えば、たまには重なるよねってことだと思うようにしてます。
が、仮に「探究心が枯れてきてる。」ってことだと思うと危機感を覚えたりするんですよね。
だって新しい分野の本を次々読んでるなら、これは起こらないじゃないですか?
歳をとると、気にいった小説を何度も読むようになるって聞いたこともあるんですが、
老化の兆候だとしたらやだなと思ったりもするわけです。
てことで、ちょっと新しい分野もまた読んでみようかなと。